写真に対する価値観の激変

ついに佐賀のハレノヒさんに行き、代表の笠原さんに撮影していただいた。

すごく衝撃的な体験となった。というのも、撮影がもう少しで終わりという時に、ふいに涙が溢れたのだ。これには驚いたし、自分でもわけがわからなかった。

誕生日の記念ということもあり、32年間を振り返るような会話もあったが、あの時は辛かったよなぁとか、これがしんどかったなぁといった涙では決してない。

今思うと、とても楽しくて、それでいて心穏やかでいられる幸せな時間を過ごせて、来てよかったと心から思い、同時に、それが終わってしまうという寂しさだったように思う。

 

騒動がどうとか、応援がどうとか、佐賀がどうとか、とにかく全部どこかへ行ってしまって、ただただ、ハレノヒさんが大好きな自分がそこにいた。

価値観や撮影の目的などは人によって様々だろう。もしかすると私だけの感じ方かもしれないことを書くことで、誰かにとって「行ったけど期待外れだった」となることは正直怖いが、素直な感想を書いていきたいと思う。

 

まずはReminess(ハレノヒさんのレンタル衣装&撮影スタジオ店舗)でヘアメイクと着付けをしていただき、スタジオ撮影スタート。

その後は、街歩きをしながら柳町フォトスタジオ(Halenohi|トップページ)へ移動。

お天気には恵まれたものの、町はひな祭りイベントの準備期間で古民家などには立ち入りが出来ない。それでも、建物の外観や庭などで撮影をしていただいた。

 

撮影の間の気持ちはすごく不思議で、今思い返しても、適切な言葉が見当たらない。

スタジオ撮影では、明るくあたたかなスタッフさん達がいて、街歩き撮影ではスタッフさんの他に道行く車や人までいて、確かにそこに存在する音や気配は感じていながら、空間には笠原さんと自分しかいないような感覚に陥ることが何度もあった。

そして、カメラの向こうに笠原さんはいるのに、時にいないような、つまり、空間にカメラレンズと自分しかいなくて、無の自分を俯瞰的に見ているような、すごく不思議な感覚になることがあった。

何を言っているんだと思う方もいるだろう。正直なところ、私自身も、どう表現するのが適切なのかわからない。夢だったと言われても、そうか、と思ってしまうような、楽しいながらも不思議な時間だった。

 

柳町という本に、笠原さんの想いがこう記されている。

 

お客さんが気付いていない価値を提供して、気付かせてあげられることが僕らの仕事だし、役割だと思うんですよね。一部のウエディング写真屋さんとかってその場で楽しく、きゃぴきゃぴしてれば良いってことも多いんですけど、そういう刹那的な写真って10年、20年経ってみると「ああ、こんな写真に10万も払ってしまった」となってしまって、僕らも続いていかないんですよ。(略)自分たちの短期的な目的・収益のみで、目の前のお客さんが楽しんでいるかだけで価値を判断するのは、非常に「遊園地的」な考え方だな、と。僕が尊敬する別の写真館の社長が「写真館のライバルはディズニーランドだ」とおっしゃってたんですけど、僕は写真の価値ってそれ以上のもので、自分たちの眼の前にはない数十年後の時間の先を考えられることが、写真という「特異な商品」の強みなんじゃないかと思うんです。表面的なものじゃなくて変化していく、見る人によって価値や機能が変わっていったりするところなんですよね。

 

私はこれまで写真撮影に苦い思い出があり、写真は苦手だと感じていた。今回の撮影や笠原さんの写真に対する価値観を知った結果、写真への苦手意識は【慣習としてイベントのタイミングで写真を撮って、残すならとにかく綺麗に(可愛く)】という概念が原因だったのだろうと気付いた。

誤解の無いように、そういう意識自体が悪いということを言いたいわけではない。

七五三で娘にドレスを着せて可愛い!とキャッキャして写真にした時の楽しさも現実だ。

直近だとTwitterで #アイドル風活動 というハッシュタグで、アプリで盛り盛りの写真を皆でアップしているが、加工とわかっていながら「自分じゃないみたい」と少し心躍る気持ちも悪くない。

 

ただ、私が写真館で撮りたかった写真の本質というのは、そういった笠原さんのいうところの【遊園地的】なものではなかった。それに気付けなかった結果が、写真苦手、だったのではないか、ということだ。

 

写真を撮る間に笠原さんから発せられる言葉や空気感は、今の自分のありのままを、32年間の人生を、あるがままに受け止めていてくれる(ような)気がした。

そしてそれを通して、自分が自分を無条件に受け入れるような気持ちになれたのかもしれない。32年【生きて】きたんだなぁ、そんな、漠然とした気持ちながら、今のそのままの自分と向き合えたように思う。

 

ちなみに、その場では1枚も写真を見ることはなかった。

写真を撮りに行っていながら変な話だが、今、写真は無くてもいいくらいの気持ちだ。しばらくはそんな気分でいる気がする。数ヶ月後か、1年後か、数年後か、とにかく、未来のタイミングで今回の写真を楽しむような気がしてならないのだ。そして今度は、娘達ともハレノヒさんに行きたい気持ちでいっぱいだ。

 

【あくまでもコミュニケーションとして写真という物理的な媒体はある】という笠原さんの哲学に、少しでも触れることが出来たのだろうか。

 

僕が最初にやろうと思ったのは、毎年撮ることで、生き生きとしていくためのモチベーションとしての写真を撮ろうっていう切り口ですね。終わりを用意するんじゃなくて。特に女性だったら来年も綺麗に撮ろうっていうのを目標に健康に生きる、とか。例えば20年間撮り続けるとかっていうのも面白いとは思うんですけど(「柳町」より)

 

この意味がよくわかった。20年撮り続けるかはさておき、少なくとも、来年も、再来年も、またハレノヒさんで写真を撮りたいと思ったし、それをモチベーションに1年の自分の過ごし方を見つめ直してみるのは、実に楽しそうだ。

写真館に行って写真を撮ることは、こうして私の人生にとって大切なことになった。

 

笠原さん、ハレノヒの皆さん、本当にありがとうございました。