刹那的でない楽しさを
先週、13年ぶりに再会を果たしたS先生の話。
再会のきっかけは、佐賀ハレノヒさん(Halenohi|トップページ))で撮っていただいたプロフィール写真。それをLINEのアイコンにしたタイミングで、偶然にもS先生のLINEに知り合いかも?と出てきたことでした。
それまでの私のアイコンは、子どもの写真か風景の写真にしていて、本名ではない名前表示でした。
もしも、あの時アイコンを変えていなかったら、S先生のLINEに知り合いかも?と出ても知らないなー、で終わっていたかもしれません。
もしも、2月にハレノヒさんで写真を撮っていなかったら、アイコンを自分の写真にすることはなかったでしょう。
そして、こうした偶然で会うことがなかったら、自分の人生で最も過酷だった時期に、心の救いとなっていたS先生のことを、辛かった記憶と共に封印して、感謝を伝えることもなく過ごしていたと思います。
私は、いわゆる被虐待児でした。
小学生から続いた親の暴力に加えて、中学から高校にあがる頃には弟の家庭内暴力が始まり、弟の暴力の矛先は私に。
それまで私と弟に分散されていた親の暴力の矛先も、全て私に。
親や弟に首を絞められた記憶は長らく残り、今でもタートルネックは着られません。
耐えきれずに夜中に家を抜け出したこともあります。
といっても、スマホもネットもない頃、あえなく警察官に付き添われて帰宅する私を待っているのは、更なる暴力でしかありません。
「未成年のうちに自由になれると思うなよ」という親の言葉に、「ならば20歳まで。20歳になったら、絶対に出ていく。それまで、頑張ろう。」その一心で耐え続けました。
痣だらけでも、ちょっと転んだと言うほかない。誰かに話したところで、よかれと思って差し出されるその人の優しさが、自分をもっと苦しめてしまうから。漫画かドラマの世界の話みたいだな、と他人事のように思っている自分もいました。
そんな頃に出会ったS先生は英語塾の先生でした。
人気講師が面白い授業を繰り広げる中、S先生は淡々と授業をするタイプだったので、夏季講習などがS先生だとガッカリする友人もいました。
私は何故だか、S先生の雰囲気が居心地がよく、質問をしたり、宿題をさぼって居残りをしたりしているうちに、S先生は英文を読んでる最中にふと小さく笑っていたり、ちょっとトボケたところもあったり、面白い先生だなと勝手に慕っていました。
そして、ある時、少しだけ、家のことをS先生には言ったのです。
先生はいつも通り淡々と聞いているだけだったけど、それが、救いでした。
もしそこで、こうしたら?とアドバイスされたり、親に話してあげるよ・こういう機関に相談してみようよなどと行動をしてくれたりしていたら、私はまた心を閉ざしていたように思います。
動いたら最後に傷つくのは自分で、誰も最後まで私を守れるはずがない。20歳までただ耐える以外の道で、うまくいくとは思えない、そう信じていたからです。
それでも、孤独だった私にとって、少しでも自分の状況を打ち明けられたことは救いでした。S先生だけは余計なことをしない味方でいてくれるから、どうしても耐えられなくなったらまた話をしてみよう。その一心で耐えました。(結果的に当時それ以上、家のことをS先生に話すことは無かったのですが。)
自らの誓いのとおり、20歳を境に離脱し、その後も紆余曲折を経て、そして、S先生とまた会って話してみて、あの時、S先生は淡々と聞いていたのではなく【傾聴】してくれていたんだと気付けました。
13年の時を超えて、S先生とは当時話せなかった色々なことを話しました。
ゆっくりと間をおき、一つ一つを丁寧に受け止めて、対話してくれたS先生。
一時期は触れることすら怖かった過去が、遠い記憶、どこかの物語のような感覚までになり、そして昔の自分をようやく、頑張ったねと慰めることが出来たように思います。
本来は、虐待を受けているのではと思われる子がいたら、公的機関への通報などが最善ということは事実かもしれません。
私の人生にも、もっと違った解決の道があったのかもしれません。
それでも、あの時、どうしても留めきれなかった小さなSOSを、S先生がただ傾聴してくれたこと、その後も変わらない接し方でいてくれたことが救いでした。
何もしないでいてくれたこと。
私が漏らした以上のことを探らないで、聞かないでいてくれたこと。
それでいて、その後も気にかけていてくれたこと。
(失礼なことに、私はすっかり忘れていたのですが、10年前に一度、先生から元気にしていますか?と、電話をもらっていたのです。)
今回の再会で改めてS先生に感謝し、尊敬すると同時に、当時のS先生と同じくらいの年齢になった私は、S先生のように人に寄り添えるのだろうかと、考えさせられる再会でした。
そんなS先生とは近況も話をして、佐賀ハレノヒの笠原さんの話もしました。
笠原さんが写真を通して提供しようとしている【刹那的でない楽しさ】というキーワードに、深く頷くS先生。
「刹那的な楽しさがダメとかいけないということではなく、刹那的な楽しさは放っておいても溢れているから、あえて、刹那的でない楽しさを意識することはとても大切だろう。」というような話をしました。
たくさんの価値観や生き方がある中で、どうやら私のこの先の生き方のキーワードは、このあたりにあるようです。
そんな思いを胸に迎えた新年度。
保育や子育て世帯の応援と、【刹那的でない楽しさ】のキーワードは今後、どんな展開になるでしょうか。
S先生への感謝は恩送りとして次世代へつなぎたい。
またコツコツと頑張っていこうと思います。