レターポットにおいて、あえて【恩送り】や【感謝】を意識しない

ブログを読んでくださっている方が増えて、感想も色々といただき、嬉しいです。考えや伝えたい気持ちは頭を埋め尽くしていながら、文章としてアウトプットする難しさと向き合っているので、皆さんの感想が励みになります。レターは基本的に返信をしないので、この場を借りて御礼申し上げます。

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さてここからは、レターポットをゲームに置き換えて考える3つの理由(レターポットをゲームに置き換えて考えてみる - 気の向くままに)の

 2:恩送り、感謝、というようなワードが多く出ている状況に対し、懐疑的な心理スタートになる人も少なからずいるから

について書いていく。

 

【恩送り】や【感謝】というワードや考え方自体が悪いということではないし、大切なことだと私自身も考えていることは先に述べておく。

一方で、【深い話】【いい話】を入り口にした怪しげな勧誘や悪徳商法が世の中に存在するのも事実だ。その結果、無意識のうちに「チラッと見て【恩送り】や【感謝】という言葉が目につくものは流し読み」と、【興味なし】にカテゴライズにされてしまうことはあり得る。では、そういう人達は日常で【恩送り】や【感謝】をしていないかというと、そんなことはないだろう。

 

例えば、私に【妖怪ウォッチぷにぷに】(アプリのパズルゲーム)に夢中なラブラブの彼氏がいるとしよう。(若干無理やりな設定だが苦笑)

このゲームをプレイするには【ひとだま】が必要で、【ひとだま】の入手方法は課金するほか、主に下記の2パターンある(他の方法もあるが、今回は細かい話は割愛。)

・15分に1つ自然発生するのを待つ

・フレンドに依頼をして送ってもらう(1時間に1回依頼できるようになる)

フレンドを増やせばいいが、子供向けのアニメである【妖怪ウォッチ】のゲームをしていることを友人知人には言いづらいし、課金するほどのめりこんでいるわけではない。

そんな説明をしながら、「無料だし登録して【ひとだま】送ってくれない?」と頼んできた。私は「えー私も忙しいんだからねー」とか言いつつ、登録して【ひとだま】を送ってあげるのだ。(※妄想だ)

 

この時、私は彼氏から見返りを求めているわけではない。【ひとだま】でお返しをされても困るし、「手間賃にケーキを買ってあげるね!」とか言われても「いや、そういうつもりじゃないんだけど」と思うだろう。普通に、彼氏が喜んでニコニコとゲームを楽しんでいれば、十分だ。

仮に面倒くさいなぁと感じつつ送ったたとしても、「感謝が大事!私に日々愛情を持って接してくれる彼に感謝の気持ちをこめて【ひとだま】を贈らなきゃ!」とか、「恩送りの精神が大事!彼にこうして【ひとだま】を送ることで、彼の気分がよくなって心に余裕が生まれて、通勤途中で誰かに席を譲ってあげるかもしれない。その人が感激して、また誰かに席を譲って、その連鎖でいつか私が電車でしんどい時に誰かが席を譲ってくれるかもしれないよね!」とか考えて気持ちを奮い立たせて【ひとだま】を送るわけでもない。というかそんなことを都度考えていたら毎日しんどい。

 

【見返りを求めずに相手に与える】と言葉にするとすごく特別なことに感じるかもしれないが、上記のような程度の話なら、多くの人の日常で普通に発生しているはずだ。ただし、【見返りを求めずに相手に与える】かどうかは、相手との関係性(親密度など)や自分側に生じる負担感(時間・金銭)と、個々の価値観に左右される。

上記のシチュエーションが彼氏でなく知人だったり、登録にすごく手間暇や個人情報が必要だったり、【ひとだま】じゃなくて金品だったりすると、「ノー」の回答になることは十分にあり得るし、だからといって「ノー」の回答になる人間に感謝や恩送りの精神が欠けているのかといえば、そんなはずはないだろう。

 

レターポットも、何もそういった「ノー」をなくそう、と言っているわけではないはずだ。上記のシチュエーションの【アプリゲーム】をレターポットに、【ひとだま】をレターに置き換えてみても、「ノー」の回答の自由はあるし、選択権は各人にあるはずだ。

Twitterでレターください!と言っている人を見かけたら絶対にあげないといけないわけでもないし、あげない人がケチなわけでもない。もらったレターを全部誰かに送りきれる人が素晴らしくて、そうでない人がダメなわけでもない。レターポットユーザーにならない人は世の中の日常の感謝が足りないとか、恩送りの精神を持たない人だとか、そういう話でもない。贈ったレター数やもらったレター数はひとつの参考数値になりえるかもしれないが、その数値だけがその人の価値を決めるわけでもない。

 

世界観に【恩送り】とか【感謝】の概念が強くついて回ると、「ノー」と言うのは【恩送り】や【感謝】といった概念を含めた全体を否定しているように見えてしまうかもしれないが、ゲームのシチュエーションに戻してしまえば、単純に【アプリあんまり携帯に入れたくない派なんだけど】とか【忙しいからひとだまを送る時間はとれないよ】というだけの話で、【ひとだま】を送らないからといって「俺のことあんまり好きじゃないんだろ」とか言われても困るだろう。「俺、お前に【ひとだま】送ってもらえるように、もっと人間性を高める!」とか言われても、「ちょっと待って」となるだろう。

 

【恩送り】・【感謝】・【優しさ】・【信頼】などを、【レターポットを使うからには、特別にこれらを意識して頑張らねば!】いう意識で受け止めて行動し続けると、近いうちにレターポット疲れになりそうだし、気楽に使いづらい、重い仕組みに感じてしまう人もいるだろう。

単純に既に日常に存在する様々な【見えないもの】のうち、【こういったものはレターポットの世界に持ってこれるよ】【レターポットを使うとより効果的にこういったものが可視化される一面があるよ】というものくらいに考える方が、少し気楽にレターポットを使ってみることが出来るのではないだろうか。

 

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