Nintendo Labo【つくる・あそぶ・わかる】から考える、レターポットの面白さ

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レターポットをゲームに置き換えて考える3つの理由(レターポットをゲームに置き換えて考えてみる - 気の向くままに)の最後だ。

3:イメージしづらいものは身近なものでイメージが出来る方が、とっかかりの心理的ハードルが下がると思うから

 

突然だが、Nintendoスイッチを買った。 Nintendo Laboがしたくて買った。

 

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この動画を見た感想は、「なんだこれ!すごい!面白そう!」と同時に、「これまで見たこともない」「全くわからない」だった。

「これまで見たこともない」「全くわからない」のに、その日のうちにスイッチの入荷予定を家電量販店に問い合わせて、予約をしたのだ。

 

(ちなみに「全くわからない」のレベルは、そもそもとしてNintendoスイッチは何かの拍子にネットで写真を見たくらいの印象で、動画を見て「左右が外れる構造」と知ったとか、実際に手にした時の感想がまず「こんなに大きいんだ」のレベルだと言えば伝わるだろうか。)

 

そして、ふと、自分の行動を省みて、レターポットの時と同じだと気付いた。「これまで見たこともない」し「全くわからない」けど、「面白そう」だと思ったからやった。 Nintendo Laboのキャッチコピーの「つくる・あそぶ・わかる」は、要は「やればわかるよ、楽しいよ!」ということで、これもレターポットでも同じことを言っていないか。ならば、レターポットとゲームには一部かもしれないけど、共通することがあって、それを通して考察が出来るのではないかと考えたわけだ。

 

Nintendo Laboの動画を見て感じた面白そう!という衝動はさておき、同時にあったはずの未知への不安を打ち消した要素は何だったろうか。

1つは、ピアノ・釣り竿・バイクといった「これは似たものを知っている」という部分で、遊びや楽しさのイメージがついたことだろう。家?やロボット?のあたりはどう遊ぶのかとか、楽しさのイメージは私には未知のままだ。全体感としては「わからない」部分の方が圧倒的に多いわけだが、一部分だけでもなんとなくイメージがつくというのは、不安を減らし、興味を持たせる効果があると感じた。

 

この「似たものを知っている」に関しては、これまでの記事に、レターポットを既存ゲームに置き換えてみたり、ゲームを通した日常で考えてみたりして、記した。面白そうという入り口だったり、気楽な感覚で使えばいいのかという印象だったり、「全体はわからないけど、一部はイメージができる」という一助になれば幸いだ。

 

さて、Nintendo Laboの話に戻そう。

未知への不安を打ち消した要素のもう1つは、「つくる・あそぶ・わかる」の先に、遊びの発展性のイメージが漠然とでも持てたことではないか。厳密には、具体的にこういう遊び方!というイメージは今の私には無い。実際にやってみても、自分で創意工夫できる範囲はたかが知れているかもしれない。だが、こういうのでまたすごく面白いことをする人が世の中にはいるんだろうな、といった思いも相まって、ゲームもだし、それを使った世の中全体への期待感が不安を上回ったように思う。

 

では、レターポットの可能性・発展性、期待感とは何だろうか。

1例として、クラウドファンディングがある。実際に、既にレターポットを通じてクラウドファンディングで成果を出した方もいるし、西野さん自身も言及している。

だが、【レターポット=クラウドファンディングのための事前信用集めツール】なのかというと、そうではないはずだ。西野さんもあくまでも、換金換金と言う声に対して、そんなに「円」にしたければ、こういうこともできますよ、という説明で言及している。

 

現在YouTubeでゲームのプレイ動画を配信し、広告収入を得ているYouTuberがいる。だからといって、【ゲーム=プレイをYouTube配信して広告収入を得るためのもの】ではないだろう。(余談だが、個人的には、西野さんがレターポットの発展性にクラウドファンディングを例に出すのは、Nintendoがこのゲームのプレイ動画をYouTube配信して広告収入を得ている人もいますよ、と言っているのと同じような気がしていて、ちょっともったいないというか、その部分だけ切り取って聞く人が少ないことは願っている。)

YouTube配信するかどうかに関わらず、ゲームはそれ自体が楽しく、その楽しみ方もキャラクターコンプリートを目指す・アイテムやゲームマネーを増やす・裏ルートを探すなどいくらでもあるし、それでいてゲームについて自ら発信をする(YouTubeはここに属するあくまでも楽しみ方の1部)・コミュニティを作ってオフ会を楽しむなど、いくらでも発展性があるのである。

 

これと同じで、繰り返しになるが、クラウドファンディングはあくまでもレターポットの可能性の1部であり、全てではないはずだ。だから、【自分はクラウドファンディングをするつもりはないから、レターポットは無縁だ】となってしまうのは、もったいないのである。

何でもったいないかというと、私は、レターポットが多くの人にとって身近な存在になっていって、かつ、きちんと価値が担保されていると、現状における普通の日常の中の【ちょっともやっとする】ことや【悩ましい】ことが解消されて、快適にシンプルに生きられるようになるのではないかと考えているからだ。

 

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