レターポットを【無料(アプリ内課金あり)】と謳ったゲームだと考えてみる

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さて、前回の記事(レターポットをゲームに置き換えて考えてみる - 気の向くままに)で、レターポットを【無料(アプリ内課金あり)】と謳ったゲームだと考えてみて気楽に始める選択肢について書いた。

ただ、純粋に既存の【無料(アプリ内課金あり)】ゲームと同程度の期待値で始めてしまうと、無料なんて嘘じゃないか!と思う人が出てくるかもしれない。

 

嘘ではない。少なくとも今は、Twitterでレターくださいと言えばくれる人がいるし、私も貰ったレターは誰かにあげたいな、と差し上げている。

ただ、一般的なアプリゲームの感覚で始めると、開始から無料で楽しめる範囲が狭い(期間が短い)と感じるだろうし、1回課金をしてみても、もう終わりかーという印象を持つ人も少なくないだろう。その後の広がりに関しては個人差が大きいのが現状だ。

 

私自身、「面白そう」で始めて、ひとまず1000レター買った。数少ない友人知人に贈った後に贈る相手がいない壁に出会うわけだが、そこで見ず知らずの「ください!」と言う人をTwitterで探して贈ったのかというと、そんなことはない。

一応4ヵ月は持っておけるし、その間に友達が始めるかもしれないし、ひとまず置いておくか、と思ったわけだ。この瞬間に、ゲームは進まなくなる。

 

既存のアプリゲームは概ね、始めた時にはたくさんのチケットなり装備なりアイテムがもらえて、わかりやすいイベントをこなしながら、少ない経験値ですぐにレベルが上がり、無料でここまで楽しいなんて!という具合に出来ているだろう。そこそこ進んだ頃に、無課金ではなかなか進んでいかない要素が増えてきたり、オールコンプリートやスペシャルキャラなどといった【達成感】をくすぐる要素が出てくる。そこで課金をしなくても、引き続き遊べることも多いだろう。

 

一方でレターポットは、ログインボーナスもなければ、運営からあらかじめ用意されたステージ・ミッション・イベントもない。ユーザーの各々が自分の日常や人生と社会全体を舞台にして進めるゲームだからだ。(誤解の無いよう、人が困る状態を茶化したり不謹慎なことを言うつもりはないので、ミッションだとかイベントだとかいうのは、あくまでも例えだ。)

 

 私のレターポットが再び動きを見せたのは、新成人を改めて祝う件で、西野さんがスタンド花を募った時だった。スタンド花を送ったことを伝えたら、本当に西野さんからレターが来た。しかも、一番いい便せんに、実物の手紙のようなしっかりとした内容で、だ。

以前も書いたが、私は西野さんのファンではない。ファンではないから、正直、半信半疑で花を送ったことを連絡した。彼の発信を見ていれば山のようにレターなりメールなりが届いていることは明らかだったから、比較的早い段階で彼からレターが来たことにも相当に驚いた。そして、ファンではないが、彼のレターそのものは実に嬉しかった。同時に、【持ちレター】がぐんと増えたことは「誰かにこれを贈りたい」気持ちを後押しした。放置していたTwitterを再開し、「レターほしい人」を探し出したのはこの時だ。

 

この一連の状況をゲームに置き換えると、【スタンド花を送ろう!】というミッションを実行し、アイテムを受取った、というイメージだろう。既存のアプリゲームと異なるのは、スタンド花を送る、という部分はリアルの世界で起こっている点だ。

当然にスタンド花を送るのに数万円を使っているわけで、アプリ内課金(レターを円で買う行為)あり、といいつつ、アプリ外課金まで必要じゃないか!と思う人もいるだろう。単純にアイテム(この場合は西野さんから贈っていただいたレター数)を入手するだけであれば、この数万円をスタンド花(ゲーム外)に使わずに、レター(ゲーム内)課金にする方が何倍もレター数は増やせたわけだが、そうではないのだ。ここに、既存アプリゲームとレターポットの違いがあるといえる。

 

(ちなみに、今こうして書いていて気付いたのだが、上記を書くまで【西野さんがくれた文字数が何円相当でスタンド花の費用と比較してどうか】ということを数的に考えることはなかった。どうやら「何文字くれたってことは、何円分」というような意識は、レターポットを使っている時には(今のところ私には)生じないようだ。)

 

そもそもとして、既存アプリゲームではクリアするともらえるアイテム(チケットやコイン)のために、ミッションをこなすが、私はレターを入手するためにスタンド花を送ったわけではない。横浜が自分の出身地であることや、何かしたいなと抱えていた想いを達成できる機会として活用させてもらっただけだ。もちろん、芸能人や著名人のスタンド花もある中で、どこぞの誰とも知らない自分のスタンド花そのものが誰かを喜ばせるとは思っていないが、【会場を埋め尽くす花に笑顔になる見知らぬ誰か】を思い描くと、その笑顔の理由の1部になれるのはいいなぁ、と思った。

100%純粋に見返りを求めない気持ちだったら、西野さんにも言わない(レターをもらわない)のが筋じゃないのとか色々思う方もおられようが、その点に関しては【西野は本当に全部のレター見て、約束した内容にはちゃんと返すのか】という実験心があったことは認める。だが、それとレターをもらうために花を送った、というのは異なるといえる。

 

次に、西野さんからのレターは1文字5円換算で考えてしまえば、【金額】としてスタンド花の費用との比較(損得の概念)が生じる。つまり、既存アプリゲームのように、レターがただのチケットやコインだと、それは商品券と同じでしかなく、常に入手にかけた【円】との比較をして損得という概念がついてまわる。世界観を出すために仮に【西野コイン(西野さんの顔をモチーフにしたコイン)】をデザインして流通させても、嬉しいのは西野さんのファンくらいではないか(笑)

レターポットで課金して受けとるのが文字なのは、文字は「言葉」にすることでそこに想いが生まれ、同時に変化自在なものだからだ。

文字であれば、受け取った時と贈る時の1文字の価値は同じながら、自分の気持ちや相手に応じて変化自在なのである。500西野コインはもらう時も、贈る時も、500西野コインでしかないが、500文字は受け取る時には感謝のメッセージとして届き、贈る時には愛のメッセージに変化することも出来るわけだ。

 

レターポットをゲームだと考えると。

遊ぶステージはユーザーの人生と共に発展し、発生するミッションやイベントはリアル社会と共に無限にあり、ユーザーが人生や社会に積極的に参加することで、発展していく世界を発見して楽しみ、通貨として【文字】を用いながら【気持ち】を込めた【言葉】を贈るゲーム。

 

実に面白いではないか。

 

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