レターをアプリゲームの課金チケットに置き換える

レターポットの仕組み解説はコチラ

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レターポットに懐疑的になってしまったり、換金の話が出たり、混乱する人がいたりする理由に、仮想(物的に存在しない、画面の向こうにしか存在しないという意味合い)のレターとリアル社会の人間関係や【円】の複合的な世界観という点があると思う。

更に、信頼・思いといったリアル社会で可視化できないものを仮想のレターで可視化するという概念(レターで可視化といっても、数値にはなっていても、これまた実際に手に出来るものではなく、個々人が【感じる】ものだからやっかい)と目に見えてるんだか見えていないんだか、というあたりで「よくわからない」となるのではないだろうか。

 

ここで、レターポットをゲームに置き換えて考える3つの理由(レターポットをゲームに置き換えて考えてみる - 気の向くままに

1:【通貨】【何円】という言葉が出てくるだけで、条件反射的に損得の概念がむくむくと湧き上がってしまう心理もわからなくないから

まずこれを考えてみたい。

 

現時点では我々は一般に【円】を使って生きている以上、【円】に対する防衛意識が働くのは仕方がないことだろう。私から見れば相当に裕福な暮らしぶりの人でも、「納得のいかないものには1円だって払いたくない」と言う人だっている。

特にレターポットは冒頭に書いた「よくわからない」感がありながら、【1文字5円で購入したポイントを使って】とリンクでも冒頭に出るように、「文字を買って贈る」という印象が強いと感じる人が多いのではないか。

 

ゲームではどうだろうか。

昨年リリースされたアプリゲーム【どうぶつの森ポケットキャンプ】では、ゲーム内の課金要素として、各種チケットを購入することが出来る。もちろん課金をしなくても、ログインボーナスやミッションでチケットを入手したり、フレンド(同じアプリゲームをしている人)の協力でチケット代わりの効果を得られるので、【円】を使わずにゲームを楽しむことが出来る。

一方で、課金をしない場合にはチケットの入手枚数が少ないため、それだけ目的達成に時間がかかったり、フレンドにたくさんの依頼をする必要がある。そのため、期間限定のイベントをクリアしたいなど、状況によっては課金をするユーザーもいる。

 

これをレターポットで置き換えると、レターを贈りたい人がいても、課金をしない(文字を買わない)場合、何ヶ月も誰かからレターをもらって溜まるのを待つとか、「レターください!」とTwitterで依頼するといったところだろうか。

期間限定イベントへの課金は、例えば、明日で引退をする大好きな芸能人の唯一のメッセージ受け取り口がレターポットだったら、課金をしない!と思っていても、きっと文字を買って思いのたけをレターで贈るだろう、というイメージだ。

 

さて、話を【どうぶつの森ポケットキャンプ】に戻そう。

あるユーザーがイベントの完全クリア目前で課金をして20枚のチケットを入手した。無事にイベントを完全クリアして満足したが、たまたま、イベント終了翌日のログインボーナスで20枚チケットを入手した。

生憎、明日からは出張でアプリゲームをする時間が当面無い。「この20枚のチケット、換金できないんですか?」とNintendoに言うだろうか?恐らく言わないだろう。

或いは、自分が20枚のチケットに課金したお金をNintendoが何にいくら使うかハッキリしてくれとか、その使い道じゃダメだとか、言うだろうか?恐らく言わないだろう。

 

これがレターポットになると、「換金できない論争」「お金の使い道問題」となるのだから面白い。これは1つは心理的に課金制度の印象が強いことがあるのではないか。

どうぶつの森ポケットキャンプ】も、「1枚〇円でチケットを買ってどんどんキャンプを作ろう!」と謳ったら、換金出来ないなら時間をかけて課金ゲームなんかしないさ、となったかもしれない。

 

また、もう1つには物的な満足感が得られない点があると考えられる。

西野さんはお金の使い道に対するアレコレに関して、「魚屋さんが魚を売ってお金をもらって、そのお金の使い道をとやかく言われるか?言われないだろう。」というような例え話をしていた。

魚屋さんの場合はお金を払った側は【魚】という物的な交換物を得ているからまだ【買い物をした】感があるものの、こと文字、それも物的に手に出来ないとなると、どこか投資や投機のような発想がスタートにあったり、仕組みに対して寄付なり支援なりした感が強く、円の所有権の一部が自分に残っているような感覚になるのではないかと感じた。

 

そして、アプリゲーム(一部課金制)も一般的になったとはいえ、実際に課金をしたことがある人と、そうでない人の感覚の違いもあるだろう。

かくいう私も、色々なアプリゲームをしたものの、つい最近まで課金をしたことは無かったが、課金をした時の楽しさの倍増っぷりといったら、無課金の時には想像もできない、なんともいえない感覚があった。

アプリゲームをしたことがない人や、アプリゲームに課金をしない(課金をしたことがない)人に、仮想物(物的に手に出来ない存在)にお金を払う意義を説明しても、両者の感覚には大きな隔たりがあるといえる。対象がチケットやポケコインか、文字か以前の価値観の問題だ。

 

つまり。

レターポットを【無料(アプリ内課金あり)】と謳ったゲームだと考えてみた時に、

無料でも何か嫌だ、やりたくない、という人はやめておけばいい。

無料ならいじってみようかな、という人はまずは登録だけやってみればいいし、Twitterで「レターください」で、ある程度の体験は出来るはず。

新しいゲームなら気になるかな、課金もまぁ少額なら、という人は、登録して文字を買えばいいだろう。

恩送りとか新しい通貨とか経済圏とかひとまず置いておいて、いったんは、こんな感覚でレターポットを見て、「面白そう」からスタートするシンプル参加があっても、いいのではないだろうか。