勝手に気を遣って疲れるのが止められない

そもそもレターポットとはなんぞや、というのはご本人の説明が一番わかりやすいだろうので割愛する。

lineblog.me

ではレターポットの一体どこが、孤独嫌いなぼっち好きにとって便利なのか?ということだが、それは【返信不要】が大前提の恩送りツールとされていることだ。

 

例えば、Facebookでは誕生日にはタイムラインにおめでとうコメントがずらりと並ぶ。初めはコメントをするのも、もらうのも、楽しかった。

学生時代、ディズニー柄の可愛い手帳に【〇〇ちゃんの誕生日♪】と書いておきながら、見事に気付かないというタイプだったので、「今日は〇〇さんのお誕生日です!」と教えてくれる親切な機能もありがたかった。

ところが。

旧来の友人のつながりも増えながら、新たな知人がFacebook友達として増えていくと、ほとんど毎日が誰かの誕生日になっていき、どうにも忙しくてコメントが送れない日も出てきた。

遅くなりました!とかいってコメントをしているうちはまだよかったが、誕生日に限らず、皆の動向を見て、いいね!やコメントをしていると、なんだか毎日がFacebook中心に回っているような感覚に陥る。

全部を見ずにある程度の取捨選択をしながら活用するといいよ、という親切なアドバイスは私にはハードルが高すぎた。

今日はBちゃんの誕生日か、コメントしようかな!あ、でも、この前Aちゃんの誕生日コメントしそびれちゃったなぁ。AちゃんとBちゃんは共通の友人だし、Bちゃんにだけ送るとAちゃんが嫌な気持ちになるかな。

という悩みが延々と生じるのだ。

Cちゃんの出産報告を見て、コメントしようかな!と思った矢先に、既にコメント欄で定期的に会っているとおぼしき同級生たちが盛り上がっているのを見て、「このメンバーと比べると付き合いの浅い私からコメントがあると微妙かもしれない。」なんて勝手に悩み始めるのだ。

自分がもらったコメントへの返しも同じで、「あの人に長く返したのに、この人は短いと失礼かな」といったことが気になって気になって仕方がなくなってしまう。

くだらない、といえばそれまでなのかもしれないが、いつ、どの程度の内容を、どんな感じでコメントするのが全体的にに大丈夫そうか、過去の状況的に問題なさそうか、といったことを大真面目に悩んでしまうのだ。

メールやLINE、メッセンジャーといった既存ツールは1対1のやりとりなので、「全体的に大丈夫そうか」という問題は生じないが、いかんせん用事のない連絡をほぼしない身としては、5年ぶり2度目のメッセージなんてことがざらにある。

相手に迷惑じゃないかな、急に何?とか気持ち悪いとか思われないかな?といった不安が生じ、返信が来たらどこまで何の話を続けるのがいいか、送るタイミングや頻度は迷惑じゃないか、と延々と悩むことになり、これまたハードルが高くなるのだ。

普段から何気ないやり取りをしあう付き合いが出来る人にとっては信じがたいかもしれないが、繰り返すが、これらは本当に大真面目に悩むのだ。最近の知り合いだからというだけでなく、学生時代にそれなりに仲良かった(と私は思っている)同姓の友達相手でも、悩むのだ。

 

もうこうなると「書かないのが一番(楽)」となってしまう。そもそもの「おめでとう」や「ありがとう」の気持ちを伝えたいという部分はどこかに行ってしまうわけだ。

 

レターポットの【返信不要】の恩送りの前提はこれらのほとんどを解決してくれる。

誰にいつ何を贈ったのかもわからないから、Aちゃんにお誕生日おめでとうコメントをしそびれていても、気兼ねなくBちゃんにおめでとうと贈れるし、Cちゃんへの出産おめでとうだって、5年ぶり2度目でも気にずせ贈れる。自分が受け取った時には返信のことを悩むことなく純粋に喜べるのだ。

こんなことを大真面目に悩んで疲れている人は他にいないかもしれないが、既読スルー・既読無視などの言葉があることを考えると、返信ありきのツールのヤキモキや煩わしさを感じている人はそれなりにいるのではないか、と思う。そういうことから解放されて、より気楽に、本質を伝えられるのが、レターポットの良さだと思う。

※レターポットには現状は既読・未読機能があるが、近日これらも無くなるそうなので、楽しみだ。

 

letterpot.otogimachi.jp